前回は、東日本大震災発生時の3月11日から18日までの模様を公開しました。
今回は19日以降の模様を公開します。
今回は写真メインの記事になります。
ショッキングな写真が多いのでご注意ください。
3月24日
電気水道が復旧した18日以降はスーパーやコンビニは営業再開してる店舗も出てきました。
私の住んでいる地域は、どんどん復旧し始めてきて生活も安定してきました。
毎朝給水しに小学校に行く必要も無ければ、スーパーに並ぶ必要もなくなったので時間だけが余りました。
国道45号線へ向かいました。
3月14日に来たときには車が散乱していたのですが、脇にどけられ、復興以前と変わらないくらいの交通量に戻ってました。
私有地は車がそのまま散乱したままでした。
道路沿いのステーキ屋は津波で流された車が山積みになってます。
45号線より海側の市道は、歩道に車が避けられていて、店舗や自宅の水没して不要になった家具が置かれてました。
産業道路(県道23号線)は道路に散乱していた車が避けられていて通行できるようになってました。
しかし、津波で流されて車が積み重なって歩道が通れなくなってる箇所がありました。
3月14日行ったときに、車道に遭った、軽自動車と港からの漂流物が歩道に避けられてました。
万代書店(奥に見える建物)の駐車場が砂浜のように砂まみれになってます。
ヤマダ電機多賀城店の駐車場は車が散乱してます。
道を先に進むと泥まみれのですが、車道は通れるようになってました。
裏路地に続く道路は津波で破壊された建物で塞がって通れないままです。
住宅と社屋がありますが、どこが誰の敷地か分からないくらい瓦礫と泥まみれの地面です。
どちらの建物も1階は窓ガラスが無くなってました。
車道以外は瓦礫が散乱したままです。
こちらも同じく。
道の奥には津波で流された瓦礫や車が山積みになって集められてました。
仙台港付近の工場や倉庫がある地帯までやってきました。
道路の脇(写真右側)貨物専用線(仙台臨海鉄道)の操車場があるのですが、瓦礫や車で埋め尽くされ、線路がひん曲がってる箇所も複数確認できました。
ボロボロになりながら堤防に乗り上げてるトラックが・・・。
倉庫から流され辺りに散らかってる食品を狙いにカラスがたくさん飛んでいました。
食品が腐ってこの辺一帯生ゴミくさかったです。
反対側は、工場の瓦礫と津波で流された大型トラックが山積みになってました。
操車場の線路が全然見えなくなりました。
津波で大破した建物と、それに引っかかって拉げてる大型トラック。
散乱する倉庫や工場の瓦礫、大型トラック・・・。
まさに世紀末。
震災前、何があったのかわかりません(駐車場?)が、 泥まみれで車やがれきが散乱してます。
本当に地獄絵図です。
砂まみれになった住宅街。
どの家も2階の窓が開いてますが、住民が2階から屋根の上に避難したからでしょうか。
産業道路に戻ってきました。
イオン多賀城店より先は車両通行止めになっているのか車が一切走行してません。
震災前は松林になってましたが、津波で流されて数本しか残っておらず禿げてました。
アエラホームの住宅展示場の前も瓦礫や車でめちゃめちゃ。
向かいのファミリーマートの駐車場には津波で拉げた車が・・・。
仙台市宮城野区中野方面に向かって行こうと思います。
三井アウトレットパークの駐車場は車と泥でめちゃめちゃ・・・。
歩道と駐車場を仕切る暖さに引っかかってる車が多数・・・。
駐車場が泥まみれ砂まみれの三井アウトレットパーク。
津波でなぎ倒されたニトリのフェンス。
ニトリの建物の1階は津波でガラスが無くなってます。
4月7日
この日は引越し※1後の片付けも一通り終えて就寝しようとベットに入った時です。
ズドドドドという地鳴りとともに大きな揺れに見舞われました。
グワンワグンワグンと思い切り揺れ、机の上に乗ったデスクトップPCが机から落ちそうに動き回り、緊急地震が鳴り、停電になり真っ暗になり揺れが収まりました。
起き上がる事も出来ないくらい強い地震でした。(震度6弱~6強)
3月11日の時より揺れが強かったように思えます。
引っ越したばかりなのに部屋の壁紙はビリビリに破けてました・・・。
そしてまた停電・・・。
電気水道も使えない日々が続くのか・・・orz。(都市ガスは復旧してない※2)
※1震災前は3月下旬に引っ越す予定でしたが4月の頭に延期になりました。
※2引越し先はプロパンガスで使えました。
4月8日
堤防はボロボロで崩れそうです。
昨日の地震で更に悪化してます。
昨日の地震のせいで電線が垂れ下がっていてます。
歩道にも電線が垂れ下がってます。
物置の屋根らしきコンクリートの物体が倒れバンパーが潰された車が止まってました。
3月11日の時に倒れたのか、それとも4月7日の地震か・・・。
4月15日
震災から1ヵ月経った4月15日。
私は、鼻水が止まらず喉も痒いという症状に悩まされて仙台の耳鼻咽喉に行きました。
そして、人生初の花粉症と診断されました。
我が家は近所に耳鼻咽喉科なんて存在しない田舎な上に電車が止まったままのでバスで1時間以上かけて行くことに・・・。
バスで1時間以上かけて来たんだから、まっすぐ帰らずどこかに寄っていこうとバスに乗車しました。
仙台市宮城野区の岡田と言う所に行きました。
このバスは「岡田車庫」というここより海に近いバス停に向かうバスなのですが、津波の影響でこの「岡田」バス停で折り返します。
岡田バス停からちょっと歩くと田んぼだったところに瓦礫や車が散乱してます。
これはひどい・・・。
田んぼに車が散乱・・・。
プレハブ小屋まで流されてました。
県道10号線の近くまでやってきました。
田んぼに突っ込んでるタクシー。
泥で通りにくくなってる歩道。
県道10号線から枝分かれしてる私道に、どこかから流れてきた泥まみれの子供用の自転車が落ちていて痛々しい・・・。
県道10号線より海寄りに向かいます。
進んでいくと、田園が泥まみれ瓦礫まみれ・・・。
民家は流されてないのですが、木材のような瓦礫が多いです。
海辺の住宅街から漂流した瓦礫か?
運転席が原形がとどめないくらい大破したタンクローリーが民家に引っかかってました。
多賀城のハードオフの近くに落ちてたの同じ銀色のタンクのような漂流物も落ちてました。
もしかして仙台港から流されてきたのか? (仙台港からは2km離れてる)
根こそぎ流されてきた樹木も散乱してます。
写真の奥の方に見える松林の先が海です。
田んぼに転がってる樹木はここから流されたものだと思います。
こんなに海から離れてるのですがここまで津波が来てるのです。
津波で抉らてたアスファルト。
漂流物が引っ掛かって抉られたのか、それとも津波の威力か・・・。
住宅の1階がサッシごと流されて吹きさらしになってます。
左奥の住宅に至っては壁が破壊されてます。
貨物列車のコンテナも漂着してきたようです。
この付近で鉄道が通ってるのは仙台港の貨物線だけなのでそうだと思います。
仙台港方面(海とは横方向)に進んでもどこまでもこのような景色・・・。
内陸の方へ左折すると犬が駆け寄ってきました。
首輪を付けてたので飼い犬でしょう。
私は飼い主じゃないぞ!
駆け寄ってきた犬は、やけに人懐っこい犬で私の後をずっと付いて来ました。
飼い主は避難したのか 、それとも・・・。
しばらく歩いていくと犬は付いてこなくなりました。
帰りのバス停に向かう為、七北田川を渡ります。
パワーショベルで河川敷に溜まった瓦礫を回収してます。
河川敷には津波で流された住宅の2階部分がありました。
ここの辺りでは、地面が白くなってますが、津波被害の消毒のために石灰が撒かれてるからです。
バス停がありますが、何やら黄色い紙が貼られてます。
黄色い紙には津波被害で運行区間短縮に関する情報が書かれてます。
バス停へ向かっていると、瓦礫が集められ山盛りになってる公園がありました。
地盤沈下でもっこりしたマンホール周辺。
この辺りも津波被害がありアスファルトが砂で茶色く変色してます。ですが床下浸水くらいで済んだようです。
バス停に到着しました。
2012年6月
震災から1年3ヵ月経った2012年6月。
宮城県七ヶ浜町に行きました。
菖蒲田という海水浴場が目の前にある元住宅地にやってきました。
残っているのは基礎部分のみ。
こちらも基礎のみ。
この辺りは海が目の前なので基礎部分しか残ってません。
住宅や海水浴場の駐車場だったところが津波の海水で池のようになってます。
こちらは道路が崩れてます。
七ヶ浜の写真は以上になります。
まとめ
その1で3月11日から18日までの被災の実体験と地震・津波被害の写真、その2で3月19日以降の地震・津波被害の写真を公開しました。
7年前の東日本大震災を風化させないためにも、自宅のハードディスクに眠っていた震災当時の写真を公開した次第です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。