みんなー!うしるだよー☆
今回はねえ! 福島の浪江駅に行ってきた時のことを書き綴るよ!
刮目して見てね!
浪江駅とは
福島県双葉郡浪江町にある常磐線の駅です。東日本大震災と福島第一原子力発電所事故以降、2017年3月31日に浪江町の帰還困難区域除く地域で避難指示が解除され、4月1日に営業を再開した駅もでもあります。
2019年現在でも福島第一原子力発電所の近くを通る浪江~富岡間は現在も不通※になっていて、その区間は代行バスに乗り換えないといけません。
※2020年3月、浪江~富岡間復旧予定
仙台駅から「原ノ町」行き電車で原ノ町駅を目指す
仙台駅から原ノ町行きの電車に乗って、浪江駅を目指します。
浜吉田から駒ケ嶺まで津波被災によって内陸に移設した線路を走っていきます。高架線区間が多く遠くの方まで海が見えて景色がよかったです。あと揺れが少なく乗り心地がいいです。(動画は山下〜新地間を撮影)
内陸に移設される前の山下駅はレトロなローカル線な駅舎でした。
ちなみに山下駅のホームは特急列車が止まれるように長いホームで、折り返し列車も走ってました。
原ノ町駅で浪江行きの電車に乗り換え
原ノ町駅で時間があるので降りてみました。嘘です。原ノ町から先はSuicaが使えないという事実を電車に乗ってから知って浪江までの切符を買うためでした。
仙台から乗ってきた電車から浪江行きの電車に乗り換えます。
ガラガラなんだろうと思ってましたが思いの外乗ってました。
原ノ町駅から2駅目の桃内駅は民家が数件しかない秘境駅のような駅でした。
その民家に人は住んでるんだろうか・・・
浪江駅
原ノ町駅から20分ほどで浪江駅に到着しました。
幹線の駅だけあってかなり広くて長いホームです。その中で現在使用されてるのは、一番駅舎から遠い仙台方面行きの3番ホームのみ。
現在この先の富岡・いわき方面は福島第一原子力発電所の事故の影響で2011年3月11日以降ずっと不通になっています。ちなみに、来年の3月には浪江〜富岡間が復旧する予定です。
20〜30年くらい不通のままになるんじゃないかと思ってましたが意外と早い。原発事故がなければとっくに復旧されてたんだろうけど。
駅舎側のホームと仙台方面のホームは仮設通路で結ばれてました。
乗ってきた電車はすぐに原ノ町に引き返して行きました。
かなり広い構内は、上野〜仙台間を結んでた特急の「スーパーひたち」の停車駅だった名残だと思います。
浪江〜富岡間が復旧されたら特急停車駅として復活するのか、現在、利用客が激減して群馬の秘境にある土合駅並みの1日18人しかいないから通過となってしまうのか・・・。
もしかして、いわき〜仙台間の特急は無くなっちゃうの?
駅舎側のホームと向かいのホームを結ぶ跨線橋は、仮設の通路があるので現在使用されておらず立ち入りできないように柵がされてました。
駅前の駐車場には、浪江〜富岡間の不通区間を結ぶ代行バスが止まってました。
駅舎内
駅舎内はかなり広々としてて殺風景でした。
広々とした駅舎の端の方にベンチと冷暖房完備の待合室がありました。
浪江〜原ノ町間の電車の本数は1〜2時間に1本とかなり少ないです。
そして、仙台まで直通で行けるのは始発と最終の2本のみ。他は全て原ノ町で乗り換えないといけません。
たった3駅なのに直通運転しないのはどうしてなの?
駅前ロータリー
駅舎を出ると代行バス待ちの行列ができていて、浪江駅に降り立ったのは私だけでした。
改札通るときに駅員に切符を見せたら「どうぞー。え?降りるの」って反応されました。みんな代行バスに乗り換えてこの駅で降りる人はほとんどいないようです。
白を基調とした無骨なコンクリート製の駅舎と無駄に広い駅前の駐車場。
代行バスがバス停にやってくると、並んでた乗客がバスに吸い込まれていき静寂が・・・。
駅前には「高原の駅さようなら」の歌詞が書かれた石碑がありました。
「高原の駅さようなら」誕生の地らしいですが、ここはただの平地です。作曲者の佐々木俊一さんが浪江町出身らしいですが、その高原の駅は間違いなく浪江駅を指してるものでは無いと思います。だって平地だし。
ここに立つと「高原の駅でさようなら」が流れるようです。
どうせ今は流れないだろうと思ったら、哀愁漂う曲が誰もいない駅周辺に虚しく流れてました・・・。
駅前には放射線モニタリングポストが設置されてました。
この日の放射線量は、毎時「0.233」マイクロシーベルトでした。全国的な平均が毎時0.05マイクロシーベルト前後なので高いです・・・。
高速バス乗り場
近くには高速バス乗り場と、新聞社(福島民報)の支店がありましたが真っ暗で誰もいませんでした。しかし中にあったカレンダーが2019年のものだったので人の出入りはあるようです。
ちなみに、浪江からは、東京行きの高速バスと大阪行きの夜行バス「シーガル号」があったようですが、どちらも震災以降運休中です。
駅周辺を散策
駅前に広がるのは空き家ばかり、歩いてる人は誰もいません。
写真には写って無いですが車通りはあります。
急いで逃げたのか、避難の後に荒らされたのか玄関が開けっ放しになってる空き家が多いです。
シャッターが震災当時のままボロボロの商店がありました。
空き家だけでなく更地になったところや、写真の銀行の建物のように現在進行形で解体作業してる建物が多いです。
街で見かけるのは解体作業してる作業員だけで住民を見かけることはないです。
こちらは、震災当時のまま崩れた外壁が放置されてました。
綺麗に整備された広々とした通りに出ると、交通量が一気に増えました。
しかし走ってる車は、社用車らしき車と除染作業で出た土砂を運搬するダンプカーが大半でした。
道の脇には、地震で崩れる寸前くらいに壊れたの建物がそのまま放置されてました。8年経った今でも取り壊されず残ってるのはなんとも言えない気分になりますね。
焼肉バルDON
国道6号線に向かって歩いていると、工事の看板を「お願いやってます」と改造した看板が4つくらい電柱に設置してる自己主張の激しい飲食店がありました。
自己主張の激しいこの店は「焼肉バルDON」という焼き肉屋らしいです。ちなみに通りかかった時には準備中でやってませんでした。
浪江町役場
やけに立派でこの辺りでは一番高い?建物っぽいのが浪江町役場です。
前住んでた所の市役所より立派。
原発マネーで立派な役場作ったのかと思いましたが、浪江町は原発に近いだけで町内なはなく原発マネーは受け取ってないらしいです。ただ単に人口が多かった(2万人)だけ?
町役場の目の前で店舗兼住宅の取り壊し作業が行われてました。
駅からここまで、空き家と更地と解体中の建物が大半を占めてました。
6号線に出ると交通量が爆増して、トラックからダンプ、乗用車までひっきりなしに走ってました。全然車通りが無くてゴーストタウン見たいみたいな記事をよく見かけますがそれとは正反対の景色が目の前に広がってました。
ロードサイドが発展してるパティーンなの?
ローソン浪江町役場前点
6号線沿いにはローソン(浪江町役場前店)が営業してました。駐車場が満杯でかなり繁盛してるようです。
ちなみに営業時間は7:00〜20:00と短めです。
道路沿いにはパチンコ屋が多いのですがどこも営業してません。
地震で崩れた瓦を土嚢で仮補修した平屋建ての住宅がありました。さっき見た地震で壊れたままの建物と同じくらい古いのですが窓ガラスすら割れた形跡が無い(直した?)ので頑丈な住宅ですね。
6号線を双葉町方面に歩いていくと、ヨークベニマル浪江店(スーパー)がありました。駐車場にいっぱい車が止まってるようですがもしかして営業してるのでしょうか?近づいて見てみようと思います。
次回につづくよ!