みんなー!うしるだよー☆
今回は、「震災遺構 仙台市立荒浜小学校」に行った時の事を公開しちゃうよ!
震災前の荒浜地区の写真(2010年8月撮影)もあるから刮目してみてね!
「震災遺構 仙台市立荒浜小学校」とは
2011年3月11日に発生した東日本大震災で、児童や教職員、地域住民ら320人が避難し、2階まで津波が押し寄せた「仙台市立荒浜小学校」を、被災したそのままの状態で保存している小学校跡です。
※入場料は無料です。
アクセス
- 仙台市営地下鉄東西線「荒浜駅」から、仙台市営バス「旧荒浜小学校行き」行きで「旧荒浜小学校行き」バス停を下車
開館時間
- 「1月~6月・9月~10月」・・・ 10:00~16:00
- 「7月・8月」・・・10:00~17:00
※見学所要時間・・・40~60分
「荒浜小学校」へ向かいますの!
仙台駅から地下鉄東西線に乗車して終着駅「荒井駅」にやってきました。
ここから「旧荒浜小学校前」行きの仙台市営バスに乗り換えます。
地下鉄東西線なんて初めて乗ったよ!
「旧荒浜小学校前」行きのバスは、1時間に1本、8時~16時の間の8本しか運航してないのでご注意ください。
詳しくは以下のリンクからご確認ください。
荒i井駅で40分くらい待たされたよ!
バスで20分ほどで終点「旧荒浜小学校前」に到着しました。
バス停周辺は、びっくりするほど殺風景で建物は荒浜小学校しか建ってません。
震災遺構 荒浜小学校
これが「震災遺構 荒浜小学校」です。
この写真ではなんの変哲の無いどこにでもある小学校の校舎にしか見えませんが・・・。
1階の窓ガラスが無かったり、割れていたり、2階のフェンスが拉げていたりと津波が襲来していたことを物語ってます・・・。
海側の方を見てみると、1階の壁は傷だらけ、2階のフェンスも拉げています。
よ~く見てみると3階のフェンスも拉げている箇所があって、津波の威力がどれだけ凄いのか物語ってます。
校舎1階
まずは校舎の1階から。
床は傷だらけ、天上は剥がされ、トイレの手洗い場は錆びてボロボロで津波が襲来したことが分かります。
そして廊下の途中までしか行くことが出来ません。
津波襲来の時のまま保存するためなのか、あまりにも状態が悪くて危険なのか分かりません・・・。
保健室があった皇室です。
天上がボロボロで、床に天上の破片が散乱しています。
リノリウムの床もボロボロです。
保健室を海側の方向で撮影。
隣の1年1組の教室があった所です。
保健室と同じく、天井も床もボロボロです。
海水を被って蛍光灯がかなり錆びていて、ホラーに出てきそうな荒れ具合・・・。
そう言えば、海に一番近い、保健室の方は蛍光灯が残っていませんでしたね。津波で粉砕されて残ってないのでしょうか?
被災当時の荒浜小学校の写真も展示してありました。
家の柱らしき木材から、自動車、布団など色々なものが集積するほどの惨状だったようです。
教室も瓦礫で床一面が覆いつくされていて、とても悲惨な状況・・・。
黒板まで剥がれ落ちていて裏面が剥き出しになっています。
廊下の途中で、ガラス張りのなっていて立ち入れないようになっているので、ガラス越しに撮影。
こちらも、床も天井もボロボロでした。
それでは、2階に上ってみようと思います。
ここにも被災当時の写真が。
階段の踊り場も瓦礫で埋め尽くされていたようです。
校舎2階
2階の廊下です。こちらも1回と同じように途中までしか進めません。
2階にも被災当時の写真が展示されています。
2階も瓦礫で埋め尽くされていたようで、津波の威力を物語ってます。
家庭科室があった教室です。
一見普通の教室に見えますが、壁の下の方が汚れていてここまで津波が来ていたことを物語ってます。
隣の職員室があった教室です。
こちらも壁の下の方が汚れていてここまで津波が来ていたことを物語ってます。
職員室の隣の事務室は見学できませんでしたが、津波の到達ラインと、下の方が錆びてるロッカーが置いてありました。
この辺りまで津波が来たことを物語ってます。
ちなみにここは2階です。
2階まで床上浸水・・・
1階と同じく、廊下の途中で、ガラス張りのなっていて立ち入れないようになっています。
こちらは天井は綺麗ですが、床がボロボロで、2階を越える高さまで津波が来ていたことを物語ってますね。
校舎3階
3階はシャッターが下りていて見学不可能でした・・・。
校舎4階
4階は津波が襲来してないので綺麗です。そして、端から端まで通り抜けできます。
そして4階は展示エリアになっています。
階段上ってすぐの5年1組の教室だった所です。
荒浜地区を記録した、NHKの「イナサ」という番組が放送されてました。
教室には、震災前の荒浜地区の写真が飾られていました。
写真が飾られている以外、ごく普通の教室なので懐かしさも感じますね。
私が通ってた小学校は1クラス40人押し詰められてるような所だったので、こんなに机の間隔は空いておらずギツギツでした。
隣は6年1組の教室だった所で、震災前の荒浜地区を再現した模型と、当時の写真が展示してありました。
模型はとても丁寧に作られていて、どこになにがあったのか手書きで書かれてました。
実は、震災の7か月前の2010年8月中旬に、この荒浜地区(深浦海岸)に来ていたことがあります。
大学生の長い夏休みの暇つぶしで、路線バスで海の方へ行くのにハマって?いて、同じ時期に名取市閖上、仙台市蒲生にも行ってました。しかし、写真がガラケーの中に入っているので取り出せないでいます・・・。(デジカメ持っていけば良かった・・・)
当時の写真があるので後ほど・・・
6年1組の教室の隣の「松風ルーム」と呼ばれていた謎の教室があった所です。
教室で避難していた時の様子を再現していたり、簡易トイレや非常食が展示されてました。
私が通っていた小学校にも似たような名前の教室があったような覚えがありますがなんのための教室だったかは覚えてません。
簡易トイレってテントの中に、段ボールの箱に便座を付けたような作りになってるんですね。
荒浜小学校にどれくらいの高さの津波が押し寄せてきたのかといった展示もされてました。
「松風ルーム」の隣の「音楽室」があった教室です。
荒浜地区の被災直前から津波襲来、避難していた時の様子を映し出したドキュメンタリー動画が放映されてました。
体育館の時計が飾られていて、津波が襲来した15時55分に止まっています。
プロジェクターにはドキュメンタリー動画が放映されて、津波が襲来して、海水に沈む荒浜小学校が映し出されてました。
町全体が海に沈んだような状況だったのがよくわかります。
校舎屋上
撮影しに行った日は強風のため屋上が閉鎖されてました・・・orz
入れないものは仕方が無いので、登ってきた階段とは反対側(街側)の階段を降りて1階に戻ります。
1階に戻ると、ごく普通の校舎の入り口ですが、下駄箱だけ綺麗に残っている以外、ボロボロでした。
階段の前には給食室があった所が・・・。
中はボロボロですが、設備がしっかり残っているところがなんとも物悲しいですね。
旧体育館
校舎を出てすぐの所に原っぱが・・・。
ここには体育館があったようです。
被災前の様子と、被災後の様子が映し出された写真が説明文と一緒に展示されてました。
入った方から反対側も撮影。
深沼海水浴場
荒浜小学校を後にして、近くの深沼海水浴に向かいます。
振り返ると小学校以外建物が近くに存在しないのが分かりますね。
貞山堀(貞山運河)という運河にかけられた橋を渡ります。
この橋は津波で流出されなかった橋です。
貞山堀の横には工事中ですがサイクリングロードが整備されてました。
ここで愛車を走らせることが出来るね!
橋を渡ると、基礎だけ残った住宅の跡が痛々しいです。
深沼海岸バス停跡
今は駐車場になってますが、震災前は深沼海岸バス停があった場所です。
上記は、2010年8月中旬に深沼海岸に訪れた時の深沼海岸バス停の写真です。
今では遠くに小学校が見える以外、何もない場所ですが、震災前はここから小学校が見えないくらい住宅が密集してました。
荒浜地区の写真はこれ一枚しか無いので、もっと撮っておけば良かったと後悔しています。
荒浜記憶の鐘
バス停跡(駐車場)から道路を挟んで反対側には「荒浜記憶の鐘」というモニュメントがありました。
モニュメントの高さが津波が来た高さかと思いましたが、モニュメントから手前の「13.7m」と書かれた石碑までの長さが、荒浜地区を襲った津波の高さらしいです。
荒浜慈聖観音
バス停跡から海水浴場へちょっと進むと「荒浜慈聖観音」と書かれた観音像と、荒浜地区で犠牲になられた方の名前が掘られた「東日本大震災慰霊碑」がありました。
観音像は荒浜地区を襲った津波とほぼ同じ9mの高さで、慰霊碑には犠牲者192名の名前が刻まれています。
深沼海水浴
8年ぶりの深沼海水浴へ・・・。
「海水浴場」と書かれてますが、東日本大震災以降は遊泳禁止になっていて泳げません。
このあたりは一面松林だったような・・・
新たに造り直した防波堤を超えると砂浜と海、そして額縁に入れられた写真が砂浜に飾られてました。
飾られてるのは、震災前の深沼海岸の写真のようですね。 センチメンタルな気分になりますね・・・。
やけにカニの写真が多い気が・・・・。
またカニ・・・。
砂浜を歩いていてもカニ一匹たりも見当たらなかった・・・あるのは牡蠣の貝殻だけ・・・
2010年8月に、深沼海岸に来た時の写真があったので公開してみます。
日が沈みかけてる時に行ったので、海水浴客がほとんど居ない静かな砂浜でした。
多分、同じところから撮影してみました。
ほとんど変化してるようには見えませんが、波消しブロックがちょっと高く積まれてるような気がします。
名取市閖上方面に向かって撮影。
写真だけ見るとなんの変哲もない砂浜ですが・・・
2010年8月に来た際は、内陸側は松林で覆われてました。
同じく名取市閖上方面に向かって撮影。
仙台港方面に向かって撮影。
こちらは、2010年8月に仙台港方面を撮影した写真です。
特に変化は感じられませんが、現在より波消しブロックが低いくらい?
防波堤から内陸の方を撮影。
2010年8月に来たときは、一面松林で近くの住宅街がほとんど見えない程でした。
最終のバスで帰ります
荒浜小学校も深沼海水浴場も見学し終え、16時58分の最終のバスの時間なので帰ります。
最終のバスが16時台って早いよ・・・
東日本大震災実体験記
実は私も東日本大震災を経験していて、その時の模様を書き綴った記事を公開しているので、お時間があったら読んでみてください。(写真多め)
「震災遺構 仙台市立荒浜小学校」
まとめ
被災した当時の姿を残す「震災遺構 仙台市立荒浜小学校」。
津波の脅威や威力を体感できる場所ですので、宮城県を訪れた際は行ってみてください。
最後まで読んでいただきありがとうございました!