今日で東日本大震災から7年になりますね。
当時、私は大学生で宮城県に住んでいました。
当然、東日本大震災の被害を受けることになりました。
自宅が海から離れていたため津波は来ませんでしたが、地震により電気ガス水道、そして日用品と言った物資が1週間から1か月ほど寸断されるとう被害に遭いました。
今回は、3月11日から時系列で被災の実体験とその時に撮った写真を公開します。
写真の量が結構あるので2部構成にします。
ショッキングな写真がたくさんあるのでご注意ください。
流石に死体の写真とかはありませんが。
そもそも撮ってないし見てもいません。
3月11日
当時大学生だった私は、長い春休み真っ最中で暇を持て余して実家に引きこもってました。
ペンタブで絵を描いていた時です。
ズドドドドドという地鳴りともにちょっと強い地震が来ました。
その時が、数年に一回来るちょっと大きな地震くらいにしか思ってませんでした。
宮城県は地震が多く、2003年に2回、2005年に1回、2008年に2回と大地震に見舞われていて慣れっこなのです。
一昨日の3月9日もちょっと大きな地震起きたしね。
すぐ止むだろうと気にも留めてませんでしたが、一向に地震が弱まる気配がありません。
え?いつ止むの!?
もう何分くらい揺れてるんだろうか・・・。
そう思った時にちょっと弱まり、その後、急に大きな揺れになり地震が止みました。
そして、本棚の本や、本棚の上に乗っかっていた収納ボックスごと落ちていき、部屋中がゴミ屋敷の如く物で散乱してましまいました。
そして、デスクトップPCなので停電で電源が落ちて保存してなかった完成間近のイラストが消えてしまったのであった・・・orz。
お、おう・・・。
台所が、棚と言う棚が全て倒れて地獄絵図と化してました・・・。
他の部屋もゴミ屋敷の如く棚から落ちた物で散乱してゴミ屋敷のようになってましたが、台所は棚が倒れてこの惨状でした・・・。
台所は棚を壁に固定してなかったんだった・・・。
とりあえず、足に踏み場も無いので屋外に避難しました。
外では近所の人が表に出ていて「この地震長かった」とか「家中の棚という棚が全て倒れて部屋中が物で散乱してる」とか世間話してました。
屋根の瓦が落ちてたり、土が壁が崩れ落ちて内壁が見えてる家もありました。
雪が降りだしてどんどん積もり始めました。
そして、至る所で消防車のサイレンが鳴り響き、河川敷の対岸の道路が渋滞していました。
何があったんだろうか・・・。(この時、津波が来ていることを知らない)
当時、自宅のある地域には防災無線なんてものは一切ありませんでしたから何の放送もありませんので情報が無いのです。
母、スーパーから帰宅
地震から1時間くらい経ってから母が戻ってきました。
母は、スーパーで会計の最中に地震に遭い、会計中の商品をそのまま置いてきて屋外に避難してきたそうです。
買い物しに行って何も買えずに戻ってきたのですが、これが後々面倒なことに。
無事に帰ってこれたのは何よりですが。
その後、母と手分けして部屋の片付けしていました。
夜、父が会社から帰宅
母と私は部屋の片づけを一通り終えて(居間と私の部屋に通ずる通路だけだけど)、外で近所の人と携帯のワンセグを見てました。
ワンセグでは、仙台空港に津波が来た時の映像とか、気仙沼に津波が来た時の映像が流れていたようですが、母と近所の人とその子供の3人が占領していてあまりよく見えませんでしたが。
その後、父が会社から帰宅してきました。
津波で車が流されたそうで会社から歩いて帰ってきました。
地震の直後に、津波が来ると言うことで会社の指示で近くの小学校に避難したそうです。
津波警報が解除されたときに自分の車がどうなってるのか気になったのと無事だったら車で帰ろうと会社に戻ろうとした時には水びだしになっていて近寄れなくて歩いて帰宅してきたそうです。
戻って切ったらすぐさま長靴に履き替え、懐中電灯を持って「車を見てくる」と自転車で会社へ向かっていきました。
どんだけ車が気になるんだよ・・・。
就寝
真っ暗で電気ガス水道も止まっていてやることが無いので早めに寝ました。
明日には、電気ガス水道が普及していつも通りの生活に戻るだろうと軽い考えしかありませんでした。
家が倒壊するくらいの地震じゃなかったから大したことないだろうという考えからです。
実は、近々起こるであろう宮城県沖地震で我が家が倒壊する危険があるから3月末に引っ越す予定でした。
正しくは、引っ越す前にそれ以上の地震が起こってしまったわけですが・・・。
3月12日
早朝。
父が会社から戻ってきました。
会社近くの小学校で一晩を明かしてから帰って来たそうです。
ちなみに車は、バンパーが壊れてるだけで原型を留めてると言ってましたが塩水被っていて駄目でしょうね。
というかよくあんな真っ暗な中、津波被った所に行ったな。
買い出しへ
食料品を買いにスーパーへお使いに行って参ります。
昨日、母がスーパーで買いそびれたのと、台所が写真のようにめちゃくちゃになっていて片付けが出来ず入れない状況なので、今日の食べる分の食料が無いので買い出しへ向かうのです。
行く途中に家の壁が全壊してる家がありました。
小学校の時に、30年前に起きた「宮城県沖地震」を振り返るといった授業があったのを思い出しました。
その時に配布された資料に載っていた写真と同じ状況が目の前に広がっていて、今回の地震って同じくらいヤバい地震なんじゃないとか思うようになりました。
スーパーめちゃめちゃ並びすぎじゃないですか・・・?
こんな行列に並びたくないので他のスーパーに移動です。
停電で信号が止まっていて、警察官の誘導も何もないのに譲り合って、上手く機能してました。
普段はめちゃめちゃ交通マナーの悪い宮城県民なのに意外ですね。
次に向かったスーパーは石畳がボロボロになってました。
先程のスーパーより行列が少なくてここに来て正解でした。
商品は全品100円で屋外に買い物かごを並べて投げ売りされてました。
あまり品数ありませんでしたが・・・。
仙台港の方で煙がモクモク出てるけど火事?
※仙台港石油コンビナート火災だったようです。
カップラーメンとか缶詰くらいしか売ってなかったので、他にも良い物が無いのか近くのイオンに行ってみました。
ここはやってないようです。
屋上の駐車場に上るスロープに隙間が出来てないですか?
近くのホームセンターがやっていたので、給水用にポリタンクを2つ購入しました。
それにしてもこの煙ヤバいな。なんか臭ってきたし・・・。
帰る途中にまた全壊してる壁が・・・。
3月13日
ラジオで給水車が来てる小学校の情報を聞き入れて 、昨日買ったポリタンク2つを自転車に積んで小学校にやってきました。
写真では分かり難いのですが、かなり並んでいて1時間くらい並んでやっと給水できました。
今日も今日とて並んで買い物です。
スーパーがかなり並んでいて、カップラーメンや缶詰くらいは売ってるので、行列がマシな隣の薬局で並びました。
並んで1時間くらい経った時です。
誰かがここに津波警報が出てるから非難した方がいいと言い出しました。
「防波堤が決壊してるから今度はここまで来るんじゃないのか?」
「絶対ここまで来る避難しよう」
と行列がだんだん散り散りに散っていきました。
店員が出てきて「津波警報が出ているので非難してください!今日は閉店です!」と言い放ち、全員諦めて帰っていきました。
全然揺れてないのに津波なんて来るの?と思いながら津波に流されるのは嫌なので帰りました。どうせ閉店だし。
今日も仙台港から煙が上がってました。
橋の上から見ると他にも煙が上がってる所がありました。
どうりで毎日サイレンの音が続いてる訳だ。
川にタンクローリーが沈められてましたが、これって津波で流れてきたやつなんでしょうね・・・。
何も買えず仕舞いで、昨日買い溜めしたカップラーメンと缶詰で飢えをしのいでました。
3月14日
今日も早朝に給水車が来てる小学校で給水しました。
いつまで続くんだ?この毎日・・・。
昨日、並びまくって諦めたスーパーで買い物しようと思います。
開店1時間前なのに並びすぎじゃないですかね?
2時間くらい並ぶ羽目になりましたが、このスーパーは1家族5点までしか買えない制約で缶詰とカップラーメンの計5個しか買えなかったよ!!
店を出るとスーパーの行列が隣のホームセンターを越えて道路まではみ出してました。
あと、このスーパーの広い駐車場には、行き場を失った観光バスがたくさん止まってました。
通行止めで帰れなくなったか・・・。
多賀城駅前に来ましたが、なんか歩道橋に人がたくさん上がってるんだけどなんだろうか・・・。
また、津波警報が出たから非難しろとのことらしいです。
昨日も同じことあったよな?
地震も来てないし津波来る理由が分からないんだけど?
どうせデマだろうと、次のスーパーへ向かったのです。
橋を渡ると辺りは一遍して砂まみれでした・・・。
これが津波来たって事・・・?
やっぱりここまで来たのか・・・。
ここって海から遠かったような・・・。
お、おう・・・。
津波で流されてたであろう軽自動車が電柱に引っかかってました。
どんどん吸い寄せられるように先に進んでいきました。
普段は交通量激し国道45号線ですが全然車が走ってません。
アパートのフェンスに引っかかってる車がありました。
道路は砂まみれ車が散乱・・・。
ここまで来るとどんどん酷くなってくるな・・・。
ここのトンカツ美味いのに・・・。
よく家族揃って食べに行くトンカツ屋が津波の餌食になってました・・・。
※現在は同じ場所で普通に営業してます。
県道23号線(産業道路)まで来ると道路に車や馬鹿でかい漂着物が散乱してました。
ボロボロになって民家に突っ込んでるタンクローリーがありました。
これが津波の威力という奴か・・・。
港からの馬鹿でかい漂流物や車が散乱して建物に突っ込んでる状況です。
映画の世界のような状況で全く現実感がありません・・・。
目的のスーパー(イオン多賀城店)にやってきましたが当然やってませんね。
先週買い物しに来たスーパーがこんなことになってるとは・・・。
ヤマダ電機の入り口がズタボロに破壊され、津波で水たまりのようになってました。
イオンの向かいの幸楽苑、ダルマ薬局、マスカットにも車が突っ込んでもめちゃくちゃになってます。
Youtubeにこの写真が写ってる周辺が津波に流されてる映像があったので貼り付けておきます。
この先進んでも何も無いので戻ります。
そもそも津波で流されて営業してる訳がないですが。
こんな津波で流されてどこもやってないのに自転車に乗ってる人をよく見かけます。
何しに来たんですかね?
この日は、津波の猛威と恐ろしさを身をもって知ることになりました。
停電していてネットもできないし、テレビも見れないので情報が無いのである。
3月16日
買い出しついでに東北新幹線の車両基地の辺りまで来てみました。
駅に到着する前に乗り捨てられた電車が止まってました。
イオン利府店の近くの道路で渋滞が起きてましたが何事?
また、津波警報のデマ?
宮城スタジアムまでの坂道も渋滞してたけど何事何でしょうかね・・・。
でも、宮城スタジアムの駐車場には何も止まってませんでした。
宮城スタジアムの近くのパン屋が営業してるのを発見。
ここでパンを買い溜めしました。
2時間以上並ぶことになりましたが・・・。
水道復旧
この日の夜に水道が普及しました。
出ないだろうと水道をひねると出てびっくり!
この日から毎朝小学校に行って給水しなくて済むようになりました。
そして、わざわざトイレの水を川からバケツで汲んでこなくも良くなったのでした。
3月17日
昼くらいになると隣のアパートの街灯が付いていて、これは電気が復旧したじゃないかと、ブレーカーを上げてみると電気がつきました。
テレビを付けてみると、福島原発が事故を起こしていたり、気仙沼が津波で流されてる様子が映し出されてました。
この日になってようやく津波の様子や、ラジオでちらっと聞いたくらいの福島原発の様子を見ることになったのです。
原発と東京の計画停電ことばかり放送していて情報収集として全く役に立たなかったけどね!
3月18日
津波に流された父の車から免許証と他諸々を回収しに、父と会社近くにやってきました。
道路は砂まみれ、車や漂着物が散乱して、ここも世紀末のような惨状・・・。
ここも先週買い物しに来たところなのに津波で壊滅状態。
道路や駐車場には津波で大破した車が散乱してます。
標識の支柱に拉げながら引っかかってる車も・・・。
こんな車がボロボロになるくらいのなのに電柱とか支柱って倒れないものなんですね。
父が働いてる会社も津波を被ってめちゃめちゃでした。
会社の駐車場から離れたところまで流されて敷地の奥の方まで流されてました。
車はバンパーが取れて前輪の左側が取れてました。
ちなみに、父曰く3月11日に見に行ったときは前輪が両方付いていたらしく、誰かが会社に侵入して盗っていったようです。
車内は御覧の通り泥まみれでした。
車内びっちょびちょに濡れていて泥だらけ・・・。
車って水没するとこうなるのか・・・。
貨物専用の線路はゴミが散乱して、船に積み損ねて漂着してきた新車のプリウスがボロボロになって山積みになってました。
当時はそのまま廃線かと思いましたが、2ヵ月後に復旧するとは思いませんでした。
【その2】に続きます。